今日はお散歩の日とした。西新井大師に初めて行く。アリオでお寿司を食べて、アリオは夜は蕎麦も食べたのだけどどちらもショッピングモールの値段と味という感じで、あれ? この程度だったっけ、と思う。その肩透かし感が僕は高速道路の休憩所のようで嫌いではない。つまり、おいしくもないがまずくもないということだ。それは「ふつう」ということではない。「ふつう」というのはむしろ今のこの国ではむしろ「おいしい」のほうに寄っているとさえ思う。おいしくもないがまずくもないとは、おいしくもないがまずくもないとしか言えない。それは「ふつう」ではないのだから。いつだって中央値が「ふつう」ではないのと同じだ。中立というのも、「ふつう」ではない。あるいは、中立というのは中央値を取るということではない。どちらでもない、というのは、平均だとか偏差値でみようとすると必ず偏りがあるものであり、安易に二極のちょうど中間地点をえらべばそれでいいというものではないのだ。中くらいであることの塩梅の難しさを舐めないでほしい。僕は一体何に怒っているのか。別に怒ってなんかないし、怒ってないのに怒ってるとか言うから怒って──いや、誰も怒ってるなんか言ってきていなかった。あぶないあぶない。危うく怒ってもいないし怒ってなくもない状態を維持できないところだった。
西新井大師は参道の前の道路からして既に、あれなんか柴又みたいだ、と思わず言ってしまうような感じで、じっさいあとで入った団子屋に置いてあった新聞の切り抜きには『男はつらいよ』の舞台の候補地でもあったということだったし、草団子が名物だし、頑張れば荒川があるとも言えるし、僕の柴又とダブつくような感覚はあながち根拠のないものでもなさそうだった。
岸波さんの個展を見に行って、おすすめの現代川柳や詩集を教えてもらえて楽しかった。『fey』がやっぱり欲しい。多和田葉子のやつが凄かった。文フリ楽しみですねえ、という話をして、ますます楽しみになった。寄稿者の皆さんと会うのが楽しみで、あと店番もやらせていただけるということでわくわくしている。今回は出展をしないけれど、こうして機会があるのはいいし、しかしこの一年僕は新しい本を作ってないんだよなという思いもあって、側から見ると出版や寄稿があって大盛り上がりかも知れないが実感としては何も作っていない現状があるだけなので、岸波さんとお話ししたり絵を眺めたりするうちに何か作るかあという気持ちにどんどんなっていった。絵というのはこうやってふらっと寄れる場をつくれるからいいな、と思う。本でもやりようはあるかもだけれど。岸波さんに「会社員の哲学」を待ってますと言ってもらえたので、秋には出しますと宣言してしまった。宣言したからには作らなくてはだ。
それから団子を食べて、岡田湯に行って温まって、風が冷たくて首が湯冷めするようで危なかった。そばを食べながら昨晩の録音の後半で険悪なムードになった理由について奥さんとしつこくおしゃべり。最終的に結婚六年目──あれ、五年だっけ──にしてのブレイクスルーというか発見があって、そりゃこの話するたびにすれ違うわという二人の差異がはっきりと言語化される結果となって、僕は面白いねえ面白いねえとうきうきした。奥さんも元気を取り戻したようで、二人は仲良く帰り道を歩く。図書館から九冊本を持ち帰る。
