2026.02.11

U-NEXTに『ナイトライダーズ』が入荷している! ジョージ・A・ロメロが『ゾンビ』の成功の後に撮った映画で、日本では配給会社の倒産によって幻の作品となっていた一作。八〇年代にすでに時代錯誤感のあるヒッピー的共同体の夢みたいな映画とのことでぜひみたいと思っていたが、円盤が九万円とか値がついており、しかも大して面白くないというか、商業主義への反骨心で撮られているのだからエンタメ性が著しく欠けているのは明らかであり、そういうのは好きだが九万は払えないな〜と思ってずっと待っていた。いま調べたらマーケットプレイスで三万まで値崩れしているようだった。

さっそく観るが二時間半もある。嬉しい。アーサー王伝説に擬えて描かれる旅芸人一座の物語で、中世の騎士に扮したバイカーたちがオートバイと槍を用いた騎馬戦をやり、それは一応見世物として催されるのだが、王として一座を率いるエド・ハリスや彼の「家臣」たちはそれを単なるショーとしては捉えておらず真剣な求道であると信じ込んでいるところがある。かれらは真剣に現代において騎士をやろうとしている。馬ではなくバイクであるだけなのだ。つまりこれは二〇世紀のドン・キホーテでもあり、しかも今作のドン・キホーテは騎士王である。この騎士王に感化されて大勢の人々がついてくる。いつしか大所帯となった旅芸人の一座は維持管理の経費だけでもバカにならないし、だんだんと構成員同士の方向性が食い違ってもくる。エド・ハリスは「王」としての重圧にじりじりと追い込まれつつ、自身の誇りを保とうと頑張るのだが、一座の「経営者」としての責任を突きつけられている。ロメロ映画の常連が一堂に会する本作において、この苦悩は作家として撮りたいものと、商業的に求められるものとの間で不器用に格闘したロメロ自身を重ねないではおれない。興行であり求道であるバイクでの騎馬戦のシーンがだらだらと続く退屈を、仲間と一緒に現場で制作していく喜びそのものとして愛でられるか否かで映画への賛否がはっきり分かれるだろう。そもそもエド・ハリスが「王」であるのは、大勢を引き連れたいという支配欲ではなく、ただ愚直に自らの信念にのっとって生きたかったからにほかならず、そのような生き様に惚れてついてくる人が増えてしまったが故に自らを曲げざるを得ないということがどうにも納得できない。この苛立ちや懊悩に頷けるか、身勝手なだけの家父として拒絶するかでも、随分と印象が違うだろう。「妃」を若い男に寝取られ、王位を商業主義に傾いた男に譲ることで、自ら共同体を去るというのは、かれにとっては諦念でも敗北でもなく解放なのだ。『ゾンビ』以降の不遇を自ら予見していたかのような態度をここに観てしまうのは、よくないファン心理だろうか。売れそうにもないものに愛着を持ち、それを譲ることができず、でも売れたくないわけでもないから挑戦するけどうまくいかない、というところにどうしても惹かれる。そこには少なからず身勝手な自己投影もなくはないだろうけど、眼鏡がお揃いだから許してほしい。しかし、ここで終われば傑作と思う瞬間が15回くらいあり、これがラストカットだったら最高というショットが二十個くらいあるのだが、そこから延々と続くのだから恐れ入る。とはいえ、ロメロのいいところは、閉鎖的で先行きの暗そうな共同体の、束の間の平穏がもつ気怠い退屈を退屈なまま長く撮ってしまうところにこそ宿るだろう。いつまでも終わらない、でもいつ終わってもおかしくない退屈への憧憬をかきたてるところにこそ、彼の映画のチャームはある。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。