2026.03.25

中世ヨーロッパにおける「モノを媒介とする関係」と「目に見えない絆に結ばれた関係」のあり方とは、大宇宙と小宇宙という二つの宇宙をもつ世界観であると阿部はいう。小宇宙とは人為によってかろうじて制御されている内の世界(例:竈の火)であり、大宇宙とは人間の理解を超えたどうにもできない混沌とした外の世界(例:山火事、鬼火)である。以前は、ここでいう小宇宙とは家族単位に留まっていたのが、十一、二世紀を境に村や都市が形成され始めたところで共同体規模へと拡張されていったというのが阿部の見立てである。

このころ、共同体の中心には修道院や教会が建立され、キリスト教のネットワークによって共同体のイメージが下支えされる。これは、家という空間がひとつの完結した小宇宙でありそれを取り囲む大宇宙に相異なる小宇宙として他人の家々があるというような、カオスの中に複数で異質な空間が点在してあるという空間感覚から、均質的な空間感覚への変容を促しただろう。また、キリスト教というのは、それまでの円環的な時間感覚(循環する生)を否定し、終末に向けた単線的な時間感覚(一回限りの生)を提唱するものでもある。空間と時間という両面において、宇宙の一元化を志向するキリスト教が世俗の世界観へと浸透してゆく。それでもなおコントロール可能な小宇宙と人の理の外にある大宇宙という古来の感覚自体は根強く残存している。一元的な宇宙観と二元的な宇宙観の緊張と歪みが最大化していた時期として中世はあり、前者が文明、後者が文化と相関関係にある。

中世まで大宇宙に内包される複数の小宇宙という世界像がまずあった。小宇宙と大宇宙という二元論が否定される時、それはカオスな大宇宙がキリスト教という説明秩序によって置き換えられたというのではない。そうではなく、大宇宙の否定として、つまり自然をコントロール可能なものとして捉えていくことで小宇宙を全面化するようなものとして進行していくことになるだろう。小宇宙の全面化、それこそが近代である。かつては家族単位という最小のローカルの文化であったはずの小宇宙は、いつしかグローバルな文明として単一の宇宙へと展開していく。しかし、もとがローカルな文化から生じた文明である。現在にもなお複数で異質な文化としての小宇宙の非合理や非理性が伏在している。《支配する側に要請される普遍性という特質が合理的なるものを生》んだが、そのような普遍や合理というのもはつねに時代や土地に規定された《非合理的なるもの、非理性的なるもの、デモーニッシュなものをおのがうちに》有している。そのとき、あらためて二元論的宇宙にまで遡って検討しなおすことの意義が現れてくるだろう。今日的な大宇宙とはどのようなもので、それに対処して確保すべき人間の空間=小宇宙とはどのようなものでありうるか。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。