昼休憩にスーパーに買い出しをしているあいだに奥さんが冷や汁の仕込みを済ませておいてくれる。買ってきた胡瓜と茗荷を刻んで、僕はご飯に、奥さんは素麺にかけて食べる。さっぱり冷たいものがおいしい季節がもう来ている。買い物中に今週の録音を聞き返してみて、なかなか面白いと思う。さいきんはなかなか面白いと思う回が増えた。
紙で揃えていつか読もうと思っていた『氷の城壁』をアニメ化の機会に読み始めたら止まらなくなり全巻一気読み。奥さんにもおすすめして、一気読みしてもらった。縦読みに文句を言いながら初めて読んだのは二〇二二年の九月だそうだ。
『氷の城壁』は『正反対の君と僕』と較べてすれ違いのやきもきでの引っ張りも多くて、僕はそういうのでもだもださせられるのも楽しいけど「はやく付き合っちゃえよ!」とイライラしてしまいがちでもある。けれども本作の登場人物の誰もがかつて「好き」という言葉の指示対象が非対称なままに誰かと付き合い、痛々しく破綻した経験を持っているから、雑に「好き」とは無条件に素晴らしいもので、付き合うのが唯一絶対の解というふうなファストな読み方が許されていない描き方なのが素晴らしくて、「はやく付き合っちゃえよ!」と思いつつも、それがいいことなのかどうか確信が持てない。人間って難しいねえ、と思いながら進んでいく。はじめからなかった可能性を夢見ていた人と、はじめから対等な関係を作っていくことを諦めていた人とが、すべてが終わってしまった後、穏やかな気持ちで肩を並べて歩くシーンで、もうこれが最終回でいいじゃんという気持ちになっていちど読むのを中断した。あまりにもよい。人が呪いを解く、奇跡のような瞬間が何度もあって、このシーンの二人のしんとした晴れやかさは群を抜いている。はああ、いいなあ。
2022.09.13
当時の僕にとってはこゆんと五十嵐の出合い直しが白眉であったようで、じっさいあのシーンは素晴らしい。でも紙で読むとここの感動はやや減じているようでもあり、縦読みはやはり縦読みの文法があるよなあと思った。紙で読むと、ぜんぶが輝いていた。もう誰も彼もが可愛くて仕方がない。みんなみんな勇敢で愛おしい。人を好きになるとはどうしても自分の嫌な部分と向き合うような経験でもあるということを真っ当に描きながらずっとチャーミングなのがすてき。メインの四人はもちろん絶対に幸せになってほしいし、月子ちゃんも大好きだし、栗木さんも最高。最終巻の母親との外食シーンで嗚咽をあげて泣き腫らした。登場人物のほとんど全員の幸せを願えるようなフィクションを読む時、大事な人たちの大事な話を聞いている時のような気分になる。というか、たぶん因果は逆で、僕は十代の頃からこうして物語として構築されたキャラクタたちの恋路をキャーキャー言いながら真剣に祈り、その結末にはらはら涙しつつ拍手してきた経験によって大事な人たちの大事な話を聞けるようになってきたのだと思う。当時の僕が読んでいたものはむしろ反面教師のようなものが大半だったというか、いいからさっさと伝えちゃった方がいい、という素直さの糧になっていたけれど、かつての僕が『氷の城壁』を読んでいたら何を学んだのだろう。学びすぎてなにもできなくなりそうでさえある。いや、おそらくは屈託なく雨宮くんに自己投影するんだろうな——
こゆんの「城壁」のこと、学生時代の奥さんを評して同期が言った「絶対殺すって顔してた」とほとんど同義だと感じているが、われわれの家庭環境は鈴木さん谷くんのほうに近い。それでもメンタリティはむしろ『氷の城壁』のほうに近しい感じに仕上がるので、面白いものだ。奥さんは、雨宮くんが自分の気持ちに正面から向き合えるようになってからどんどん顔が平に似てくるのが面白かったと言っていて、たしかに、と思う。
夕食は酢豚と葱と厚揚げと大根のスープ、にんじんしりしり。おいしくできたが、二品にスライサーを使ったり、厚揚げと酢豚で二度揚げ物があったり、やたら工数が嵩張ってしまった。
音読『プロジェクト・ヘイル・メアリー』はいよいよ下巻に突入。上巻のクライマックスであるサハラ砂漠と南極破壊シーンが僕はかなり好きで、昨晩ここを読むときはかなり気合いが入った。
