DMM のセールではべつに僕が読まなくてもよかろうと思っていたビジネスパーソンが読むような本をとりあえず買い込んでいたけれど、それらをちょこちょこと読み出していて、いまのところ一番いい感じなのは『独学大全』だった。やはり皆がいいというものはいいのだなと思い知る。読むだけでやる気が出るしやる気が出るというのは既に「使える」ということでもある。これの他に買ったライフハック的な本はあまり面白くはなかったというか目新しさはなかったけれど、目新しさがないということは学びがないということではなくて、ふだんから実行している名もなき小技にわざわざ丁寧に言葉を付与していくというのもひとつの点検にはなり、だから読んでいて面白かったりはしないのだけどなんとなくいい気分にはなるというか、行動における実践知の棚卸しのような読書体験でそういうのもたまにはいいものだった。とはいえやはりこういう本はべつに僕が読まなくてもよかろうという気持ちは拭いきれず、これは一体なんなんだろうなあと思う。たぶん僕は方法論みたいなものはもういいと思っているのかもしれない。だからこそ素直な気持ちでこういうのを読むべきではあるのだろうえれど。ものの考え方、もののやり方に対して、いまそこまで自己変革を求めていないというか、そもそも常にブレブレに自己を揺さぶり続けるというのを続けていると、わざわざ型をつまみ食いする意義を見出せないということなのだろうか。
いま一番面白いのは小島寛之『数学入門』で、僕は数学はAとⅠまでしかやっていないから、一章から既に新鮮で、一週間かけてようやく二章に入ったところだ。いつもの読書とは明らかに違う部分を動かしているようで、読んでいてこの数日欠かしていないヨガと似たような気持ちよさを感じる。ふだんとはちがう緊張と、その後の弛緩の心地よさ。息抜きにすこしずつ読む『モー将軍』が沁みる。気に入ったものは奥さんに読み聞かせるようにしている。詩は声に出すと気持ちがいい。
僕は賃労働にはすでにいつだって膿んでいるので、五月病というのはとにかく気分変えたさに新しいことを始めたがる病といった方がよくて、今年はヨガと数学と英語のようだった。ヨガはYouTube、数学はちくま新書、英語はQUARTZ、と今回は珍しくツールも揃っていて、ヨガに関しては奥さんという一緒にやる人までいるからもしかしたら今年はいい線行くかもしれない。
友田さんとのおしゃべりも近いので、僕もいい加減なにか作ろうとフリーペーパーの準備をする。手を動かしているとそれだけで救われる気持ちというのはあって、やっぱり何かを作り続けていた方がいい。それは自分の健やかさを維持するためにこそ必要で、発表は制作を続けるための手段でしかなくて、制作そのものが目的なのだと何度も思う。文フリの開催はないかもしれないが、とにかくあるつもりでスケジュールを組み、手を動かす。なんだかんだ言って完成を目指さなければ作り出すことさえしないというのをいい加減学んでいる。