午前中は奥さんとぽつぽつお喋りをしながらコンディションを徐々に整えていく。それはほとんど臨戦態勢というようなものだった。人前で話すからには当たり障りのないグルーミングのようなお喋りでなく、ともすれば殴り合うようなものであって欲しい、と僕は一聴衆として思うからだ。自己紹介も最低限でいい。分かりきってることはわざわざ確かめ合わなくていい。そういうのは見世物にはならない。いま考えてることをバシバシ投げ合うようなお喋りにしようと僕は勝手に思っていて、やったるで、という勇んだ気持ちを作っていった。昨晩からシワを伸ばすために風呂場にかけていた代わりに読むTシャツに、ブリュードッグのマスクをつけて、きょうは暑い。
電車の中ではトーキング・ヘッズを聴きながら『ブルーノ・ラトゥールの取説』。めちゃくちゃ面白くて、もうアクターネットワーク論のことしか話したくないかもとすら思われて、危ないのでほどほどで読むのをよした。QUARTZ の今週のだえん問答が配信されていたのでそちらを読む。めちゃくちゃ面白くて、もうスモールビジネスのことしか話したくないかもと思われてきた。気がつくと中央線の僕のいる車両では、乗客の八割が紙の本に視線を落としていて、とてもいい光景だった。
時間には一時間ほど余裕をもたせてあって、本屋ロカンタンに寄るためだった。入ってすぐの『現代思想からの動物論』というタイトルにビッときて、目星をつける。このまえB&B で買ったダナ・ハラウェイもそうだけど、もはや人間に限定しての思考はもういいやという気分なようだ。そのほかは知らない雑誌が二つ気になって、一冊は『のろし』という格好いい造りの本で、古のインターネットでの表現者の特集らしく欲しくなる。その隣の雑誌も、タイトルはわからなかったが「遊びの居場所を耕す雑誌」とあって、特集は「ちゃんとしなくていい路上。」とある。こんなの読みたいに決まってる。二周目の棚巡りでこの三冊と、カート・セリグマン『魔法』を衝動的に手に取ってレジ。萩野さんにご挨拶して、『プルーストを読む生活』を読んでくださってるとのことで嬉しい。へらへらお話して、出る。
カレーを食べたお店の隣のお洒落なカップルが、食べている間ずっと、この胡椒がおいしいね、この鶏肉はホロホロだね、と徹底して目の前のご飯の話だけを続けていて、とても好きな交歓の現場という感じがした。僕もこういうふうにご飯を食べたい。
スパイスでお腹の調子が怪しいので、あらかじめ目星をつけておいたサミットでトイレを済ます。腹弱の民は、行く先々の大きめのスーパーなど、きれいめのトイレがありそうなスポットを予め確認しておくものだからだ。緊急事態のなにが緊急事態かって、きれいなトイレの約束された駅ナカの商業施設が閉まってしまったことだろう。
BREWBOOKS 着いて、尾崎さんにご挨拶。松井さんも降りていらして、ご挨拶。友田さんは快特で遠くまで運ばれていったとのこと。ここでは『つくづく別冊』と『言葉と衣服』をいただく。ロカンタンで買った雑誌は二冊とも置いてあって、どちらかはこちらに取っておけばよかったかも、と思う。近所にできて贔屓にしているコーヒースタンドのお兄さんにずっと既視感があったのだけど、尾崎さんと声質が似ているからだと気がついた。運ばれてしまった友田さんも無事到着。代わりに読むTシャツの紺を着ていた。僕は白。お揃いの様子を見て松井さんは、すでにいいイベントですねえ、と言った。
お茶を買いに行ったりしていたらもう定刻で、思惑通り打ち合わせもなしに始まって、最初からフルスロットルだったというか、目の前に誰もいないから手応えを確かめることもできなくてただ一生懸命話し続けた。あっという間に二時間で、何話したかはもちろんさっぱりだけれど楽しかった。がっつり運動したあとのような心地よい虚脱感がある。聴いてくださった方が楽しめていたらいいな。
階下で友田さんと松井さんがお買い物や挨拶をするのを眺めて、そのあと三人で連れ立ってロカンタンに行くことになる。本日二度目。少し恥ずかしい。お二人が棚を見る横で、先ほど見逃していた映画関連の充実した古本コーナーを眺めていたら中原弓彦という人の喜劇人の本が目に留まって、『おかしな男』は面白かったなあと捲ってみると渥美清の名前もあるし、文体も『おかしな男』に通じる読みやすさがあったのでこれももらっていくことにした。萩野さんがニヤっと、ははあ中原弓彦時代の、と仰ってその場は意味がわからなかったがこれが小林信彦の筆名であることをこれを書きながら調べた僕は知っている。友田さんとのTシャツのお揃いを指摘され、もう孤独じゃないですね、と萩野さんはニコニコしている。その場で本とTシャツの発注がなされていて喜ばしかった。発注の内容を決めていく中で、萩野さんが、『百年の孤独』の他はなにを代わりに読まれてるんでしたっけ、と尋ねて友田さんが、それは『百年の孤独』だけなんです、と応えるやりとりがとても良くてみんなで笑っていた。
駅前に着くとお土産を買って行きますという友田さんに松井さんも僕もホイホイついていって、こけし屋でみんなで各々のお土産を買った。こうやってなにかを終えたあと、帰路の途中までだらだらと一緒にいる、というこの時間の間延びした雰囲気がずいぶん久しぶりで、電車の中でも気の抜けた話をずっと喋り続けていた。秋葉原で僕も降りて、せっかく秋葉原で降りたので先日奥さんがカブトニオイガメを二匹引いてきた「お財布亀2」のガチャガチャに挑戦したかった。ヨドバシ前で見つけて、ガチャガチャする。カブトニオイガメだった。これじゃいけない、ともう一度ガチャガチャしたいが、小銭がない。見渡しても両替機がないので仕方なく薬局で崩して、もう一回。カブトニオイガメだった。せっかく崩してあるし、ここで諦めては奥さんとまったく同じではないか、ここで諦めるか諦めないかが待望のミシシッピアカミミガメをお迎えできるかどうかの分かれ道なんだ。そう思ってガチャガチャ。そうっとカプセルを開ける手つきはすっかり手慣れたものだ。なかには金ピカのスッポンがいた。なんだか全部どうでもよくなって、小銭をつくるために買ったエビアンと配信中に飲んでいてまだ残っている麦茶と、買い込んだ本とがずっしり重くなる。すごすご帰って、家に辿り着く頃にはくたくただった。三匹のよそよそしい亀を手渡すと、奥さんは、は? という顔で僕を見た。