2021.06.11(2-p.53)

レトロが閉店するという。宣言下の休業の最中に終えるのだから、行っても仕方がないと思いつつ、明日の昼はバスに乗って早稲田まで行こうかな、と考えていた。無性に三品の牛めしが食べたい。昼休みを早めに取り、慣れ親しんだ学生街に向かう。ROTH BART BARON を聴いている。レトロの外観だけでもと写真を撮る。青春というのはクソだ。この前『トレインスポッティング』を観返して確信したが、あらかじめ定められた欲望のレパートリーからの選択を可能性だとか自由だとかいう欺瞞に薄々気がつきつつも誰よりもその欺瞞を内面化して囚われている若さという季節は、振り返って見ればおぞましいほど紋切り型で、権威主義で、阿保臭い。それを未熟ゆえの輝きだとか、永遠にプレイバックしたいような年寄りはそもそも生きるということの半面しか見出せていない。もう半面とは老いであり、諦念であり、動かなくなっていくことだが、非活性であるからこそ得られる洞察というものがあり、そのように見渡してしまえば若さゆえの空騒ぎなど下品でつまらないものにしか思えない。そうした下劣なお仕着せの切実さがしかしじっさい切実なのが青春というもので、その切実さを言い訳にどれほど人を傷つけたことか。自分の傷など問題ではない。人を傷つけても泰然自若としているのが若さという酷薄さであって、歳をとるとすっかり弱気になって、自分の傷が増えることよりも他人の傷が気にかかる。それは自尊心の減退ではなくむしろ増進なのだが、若い頃にはこれがわからない。三〇もずいぶん若いが、けれども傷の量は増える。新車と一緒でピカピカのうちは微かな傷が重大事でただごとではないが、古びていくうちに瑣末な引っ掻き傷など頓着しなくなる。青春を取り戻したがる手合いはきっといつまでも車をピカピカに保てるのだろう。結構なことだ。僕はやだね。実家の車はいつも埃かぶって傷だらけだった。そういうわけですっかり感傷的になって、ということが今はできない。感傷に没頭しようとするとすぐにそれを茶化す僕がいる。それでもまあ感傷的にはなって、レトロは当時は文キャンの女の子といくところで、在籍する本キャンには友達のいない僕が講義の合間にひとりで済ます昼はいつも三品だった。毎月奨学金が振り込まれる日の前には口座と財布の残高を合わせても二桁しか残らないような暮らしだったから牛めししか頼めない。ほんとうにおいしかった。三限以降は満腹で気持ち悪くなって学館のトイレに篭ったあとは部室で寝ていた。あのころに価値があるとするならばとにかくこういう無為な時間で、何も生み出さず、なにも取り入れず、ただだらだらしていたこの時間だけはやはり価値があった。いまああいう過ごし方をしようと思うと「ぼーっとする時間」というそれ自体プレシャスな時間になってしまう。当時はつまんねえなあ、と思いながら金も教養も気遣いもないからただ雑に時間をやり過ごしていて、気分としてはすっかり老いたいま、ああいう浪費はもうできない。そもそもあのころは、誰かいないかな、と思って待つともなく待っていたから空疎な時間を過ごせたわけで、今となっては奥さんがいるから待つということがない。ゴドーは来ないから弛緩しながら続く場がある。到来は場のあり方を決定的に変えてしまう。あるということは「ないかもしれない」を内包しないこともありうるが、ないことは「あるかもしれない」と常に共にある。あるとき、そこに常にあるのは「なくなるかもしれない」であって、いやもっと強く「いつか必ずなくなってしまう」という気持ちだ。人が死を恐れるのは何かを得てしまった時から始まるのかもしれない。しかしこれもまた資本主義リアリズムでしかないとも思う。そんなわけで今はお金があるのでカツ牛という、牛めしにさらにカツも載っているというやつを頼んだ。並盛でも苦しくなるのは昔からそう。そもそも大盛りは無料でないと頼めなかった。それで食べ終わる頃、最後の二口のところで入ってきた男の子が汗の酸っぱい臭いをさせて、ああ、これだ! と思った。美味い飯とそれを台無しにする汗臭さ、これこそが若い時の味だった。僕はこれがとても嫌いだった。最後の二口は台無しになった。財布に2,000円しかなくてあせったが、十円単位で正確に財布の中身を把握して何日ぶんもの食費を計算していた頃からすればこんなのなんでもない。お札があるだけで大丈夫が過ぎた。五分だけ生協の書店をひやかして、慌ててバスに乗って職場に戻る。汗がなかなか引かない。僕もさぞ臭いだろう。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。