2021.08.07(2-p.150)

昨晩はしんどかったが朝はわりと満足に寝れた気持ちで起きた。雨がざっと降ったのは午前中だったかどうか、あまり覚えていない。

昨晩の録音の編集。今回ZOOM無料版40分縛りのなか三回に分けて録音したので、五十八回目にして初めてしっかり編集というか、音の切り貼りをやった。これはまたやろうと思えば無限にやれてしまう作業だな……、と思う。違和感をなるべく消すためのつなぎ目の工夫や嘘のつき方。こだわりすぎるとドツボにハマりそうだったので、そこそこのところで雑に切り上げる。聞き返すとやはりいい話をしている。でもやっぱり僕は喋りすぎたな。

奥さんと明日の過ごし方を相談しながら、iPhoneを指紋で起動して、そのまま親指の腹で画面の左下に配置されているアイコンをタップしてSafari のアプリを起動、検索窓に映画館の名前を打ち込んで、ホームページから明日のヒロアカのチケットを取る。

夕方からは『フィアー・ストリート』を三本まとめてみた。最初の二作のふんだんなオマージュににこにこしながら気楽に観ていて、楽しいなあ、これはホラー界のアナ雪なのね、と思っている。そのまま惰性で再生したPART3──ホラーものの起源語るやつってだいたい面白くないんだよな──が思いの外いちばん面白かった。さすが三部作前提で制作され、しかも三本まとめてのリリースを企図して作られた映画は違う。これが連続ドラマ形式では全二作の王道ホラー映画の歴史の継承と更新という意図が薄れてしまうだろうし、一作ずつ作っていたらこの三作目のカタルシスはないだろう。続きモノであることを前提に、それでいて一本ずつ独立した映画であるからこその体験で、久しぶりにめちゃ面白いの観たなあ! と大満足だった。怖いのが苦手な奥さんは三作目だけ背後から観ていて、セイレムじゃん、とコメントしてからは静かだった。飽きてゲームの続きでもしているのかな、と思っていたらゴア描写でヒッと息を呑む音が聞こえたから、いつのまにか真剣に観ていたらしい。面白かったねえ、と言うと同意して、なんだか美味しいところだけ観ちゃったみたい、と言っていた。その通りだと思うが、未見の人にはもちろん一作目から観て欲しいというか、一作目から観ないとあんまり意味をなさないよな、とは思って、猛然とPART1と2のサマリーを奥さんに語って聞かせたからこその「美味しいところだけ」ではあるだろう。僕はとてもごきげんで、やっぱりよいフィクションは人の気持ちを救うなあと思う。いいフィクションに勇気づけられて、全人類幸せなのがいいに決まってるだろ、というような気持ちを強くする。それこそホラーというジャンルは、自分の恵まれなさに自閉して、周囲への怨嗟を肥大化させるあまり他人を人間扱いすることすらせずに雑で身勝手な想像力ででっちあげた「他者」へのヘイトを募らせていくような作品も少なくはない。だからこそ、『フィアー・ストリート』の爽やかさがどれだけ救いになるか。もちろん『フィアー・ストリート』も、構造的な歪さによって産み出されるこの世のあらゆるクソさを、雑で身勝手な想像力ででっちあげた「他者」に託してしまうという意味では限界もあるのだが、それはホラー映画というジャンル自体の限界であるし、ホラー映画にそこまで求めても仕方がない。むしろホラー映画における「他者」は多くの場合寓意でもあって、それを単なる具体的な悪者だとして観ることはできない。ホラー映画は「他者」に社会構造を仮託することができる。だからこそ、ホラー映画はあらゆるクソさを血祭りに変えることで、それまで救われてこなかった人たちを救うことができる。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。