夜になって一層風が強い。この辺りに吹き込んでくるということはぐっと気圧が低いわけだ。とても眠くて文字を書くのが億劫なのだが、昨晩の話から始めておこうと思う。
夕食後に奥さんは友達と用事があったので、奥さんが通話をしている間に僕は映画を二本観た。『ヴィジット』と『パーム・スプリングス』で、どちらもとっても良かった。『ヴィジット』はシャマラン監督は本当に最小限の道具とアイデアで豊かなものを撮るなあと思う。どれだけ外連味を効かせても、物語の核にはいつも登場人物の私的なトラウマとの対峙が埋め込まれていて、そこに注がれる眼差が優しい。しっかり怖い映画なのだけれど、勇気がもらえる気さえする。寝る前に奥さんにあらすじを情感たっぷりに語って聞かせたのだけどそうするとただの怪談で、奥さんはすっかり怯えた。かわいそうなことをした。『パーム・スプリングス』はとても好きで、The Lonely Island の人が主役だった。学生時代お酒を飲みながらセックスやボートの歌をげらげら笑いながら見ていたなあと思い出す。出てくる人物みんな可愛くて、そういう映画が僕は大好きだった。タイムループもののお約束の外し方が絶妙で、その外し方もチャーミングだった。すでにもう一回観たい。
それでようやく今朝だ。Twitter でfuzkue に書見台が導入されたというのを見て、ちょうど僕は最近書見台を探していた。というのもいま読んでる『書物としての新約聖書』が重くて、測ると1.1キロあったのだけれど、手首や腰が痛くて長く読んでられないのだ。こういうのはfuzkue の真似しとけば間違いないだろうと衝動的に同じものをポチったのだけど、後になって携帯型のこれだと鈍器本はページ押さえられなかったり、そもそも載らなかったりするのかもだなと気がついた。まあ、いいや。届くのが楽しみ。
ヒロアカ映画の特典冊子に堀越先生──ジャンプ作家で唯一いま「先生」呼びしたくなる作家、しかし人は人を安易に「先生」として持ち上げるべきではない──が好きな映画として挙げていたもののなかで唯一未見だった『ファー・フロム・ホーム』を観て、トム・ホランドが飛行機の中でシュン……、となるところが最高だった。あとはいつものマーベルで、可愛らしい青春ものとして楽しいからこそ、あんなに可愛い男の子の日常が侵害されていくのが心底悲しくなってしまった。この時期にすでにフェイク・ニュースやSNS監視社会をここまで洗練された形でシナリオに練り込めてしまうアメリカのエンタメ産業の力量がだいぶ羨ましい。エンタメに批評性は不在だとか、社会性は不要だとか、そんなことはありえないということを見せつけられる。ポップスこそ、社会を写し、書き換え、未来を提示するものなのだ。というような心持ちで、映画の後はつど紹介される楽曲をザッピングしながら『ポップ・ミュージックを語る10の視点』を読んでいた。音楽の話は技術的なところなんかは特にさっぱりわからないのだが読むのは妙に好きで、よくわからないままに音楽の心地よさにも理論や実践の知の集積があるのだ、ということだけわかる。それがわかるのが好きなのだろう。