あらかじめ具合が悪くなることを知らされているというのは、なんというか殴るぞと言われてから殴られるほうが急に殴られるよりも怖いというのと似ている。というわけで今日は『予告された殺人の記録』を読んでいる。高校生のときに読んでなんで面白いんだと衝撃を受けたのが僕のラテン・アメリカの始まりだったろうか。いま読むと半分くらいで満足して退屈し始めるようで、それは僕が贅沢になったのか、鈍感になったのか。ワクチンの一回目だった。しゃにむに予約ページで空きを探していたから交通の便は二の次で、だから慣れないバスを二つ乗り継ぐか、一時間強歩くかの場所だった。歩くことにした。
交差点を一つ越すだけでまるで知らない街が広がっている。知らない宗教法人の「明るい心はあいさつから」という非常に霊的なメッセージに、だよね、と思う。ガソリンスタンドと床屋ばかりだ。まったく歩行者にやさしくない。商店なのか定かではないがなにかの商いであろう、ガラス戸越しに通りを眺めるばあさんが何人もいる。全員パイプ椅子に斜めに尻を落ち着けて、マスクもせずにぼうっとしている。客待ちではないのかもしれない。雨がうんと強くなる。車道が広いし、店の駐車場が間延びするように広くとられている。建物ものっぺり平たく空が広い。駅から15分圏内の外側には、地方都市と変わらぬだらけた時間が流れている。大通りを横切るとオレンジのフェンスに囲まれただだっ広い空き地が何ブロックも続く。死体を隠すのによさそうな高さにまで草が伸びているところもある。この雨であればすぐ腐るだろうな、空き地と空き地のあいだには、錆びついたラブホテルの看板。とうとうフェンスは歩道を侵食して、白線一つを隔てた向こうを鉄の塊が猛スピードで走り去っていくようになる。鉄の塊の中には僕と同じくらい壊れやすい肉塊が、内側の粘膜質な部分をなるべく意識しないようにと鉄の方と自分を同一視しようとしている。この区は都内でも治安が悪いと評判だけれど、なんてことはない、田舎町というのはどこも暴力や死の予感、それに誘発されるパラノイアと親しいのだ。わかしょ文庫さんの文章を思い出す。あれは、どす黒い夜道の感覚を覚えている文章だ。僕はその汚らしさや不穏さを嫌って上京し、すっかり清潔になった気でいるからああいう文章を読んだり、こうした凶暴な道を歩いているとすぐに引き戻される自分にゾッとすることになる。僕はこの歳になっても、人気のない人工物に囲まれたのっぺりとした道を歩くとき、誘拐やカツアゲが怖い。地方の子供たちが免許を取りたがるのは、はやく車と同化して、鉄と油の剥き出しの凶暴さを見ずに済ませたいからなのではないか、と思いつく。歩き疲れたな、これ帰り大丈夫だろうか、と思うとさっきから横にあるのが小学校だと気がつく。近くの公園で時間を潰して、それから体育館に案内される。ものすごくスムーズにことは終わる。こんだけ待たされたんだからもっとじっくりやって欲しい、と思う。15分は経過観察とのことで、先のばあさんたちのようにパイプ椅子にぼんやり座って斜めに俯いている。心なしかさっそく腕が痛い気もする。注入自体はあっさりで物足りなかったから、ちゃんと反応があるほうが効いてる感じがあって安心だな、と思う。さっき慌ててスリッパ用の袋に脱いだ下履きをそのまま入れてしまったことを後悔し始める。待機してる人みんな何をするでもなくぼんやりしていて、自分の体に起こる変化に気を付けているようだった。
帰り、結局使わなかった下履き用の袋にスリッパを入れる。雨は上がっている。煙るのをやめた街はそこまで不穏に感じられない。左手に傘を持つが、これ持てなくなったりするのかな、ちゃんと反応して覚え込めよ、と体に話しかける。体は何も言わない。意識し過ぎて反対側の右腕が痺れてくる。あと背中が痒い。歩くの面倒くさい。あっ左の指先が痺れてきた。ちょうどあの嫌な感じのする空き地に差し掛かったところだ。雨も降ってきた。空き地の向こうは小学校のようだ。Slack で奥さんに買い出しの必要の有無を確認し、化粧水とクリームを買っていくために行きよりも大周りのコースを選ぶ。歩道が広くて歩きやすいが、途中でへこたれそうだった。ほとんど家にいるようになっている人間にとって、往復二時間の徒歩というのはじゅうぶん激しい運動ではないだろうか。
帰宅すると安心したのか俄然具合が悪い気がしてくる。すでに用意してもらっている夕食を食べながら、どんどん全身がだるい。陽気な音楽をかけることで気を紛らわせてなんとか完食。その勢いでシャワー、歯磨きを済ませていく。歯ブラシを咥えながらこうして日記も書く。さて、準備は完璧だ。もう熱が出ても大丈夫。さっさと横になっていよう。
