午後、Sさんが引越し祝いのハンモックを持ってきてくださる。糸の色は奥さんの好きそうなものを選んでくれていて、部屋にもとても似合っていた。嬉しくて、しばらくゆらゆら揺れる。そのまま会議に出てしまおうかと思ったが、差し込む日差しが強くて汗だくになってきたので断念。
奥さんは体調がすぐれなくて、労働を早上がりして鍼灸に向かう。僕は夕方に買い物に出掛けて、スーパーには米がなく、ドラッグストアで買うことができた。けっこうな荷物になってしまい、大変な思いをする。
夜、横着して電気を消したままくだると階段から落ちて、手すりに腕を打ちつけて擦り傷と内出血とで散々な目に遭う。
夕食をつくっているうち、気持ちがぺちゃんこになった。座り込んで泣きたくなった。何も気力が湧かない。そもそもあらゆるものごとに興味を持てない。もう心が動くことなんてないのかもしれない。鬱というのはこういう状態を言うのかもしれないし、そろそろ僕もつかまってしまうのではないか。こんなに気分が晴れず、頭に靄がかかったようなのは初めてな気がする。ブレインフォグというやつだろうか。もう僕はすでに手遅れなのではないかと怖くなる。そんな話を奥さんにすると、足や背中を揉んでくれる。その上でこう言う。『差異と重複』を読み返してみるといいんじゃない? あなたはいつも秋が近づくとそんな感じだってわかるから。
揉んでもらううちにすこし元気がでてくるようでもあったから、そんな気もしてきた。本を取り出すのは億劫だから、自分の日記を検索してみる。Notion の日本語検索は使い物にならないと知れたが、過去の九月の日記を遡っていくと面白いぐらい同じようなことばかり言っている。僕は、僕に重複してばかりだ。
採血でどちらかお好きな腕でと言われ、であれば利き腕じゃないほうがいいだろうと差し出したらあれ? あれ? とぶつぶつ不穏に呟きながら何度も何度も針を刺し直した挙句、血が出にくいのでもう片方でやります、などと宣うので結局どちらの腕にも穴が開いた。昔話かな。僕が意地悪でごうつくばりのお爺さんだからこんな目に遭うのかなときょう一日ずっと悲しい気持ちでめそめそ泣いていた。その涙を拭う手も、舐めとる犬もいなかったので、乾燥肌はいっとき潤い、揮発した涙はより一層のひび割れを哀れな顔面に残していき、肌の裂け目からこの世の陰惨な秘密が溢れ出たそばから地下街に屯する鳩たちに食い散らかされていく。買ったばかりの本をどちらの手で持てばいいのか、どちらにせよ痺れやすい血が滲む。帰宅してから気がついたが、血が出てこないと言われて滅多刺しにされたほうの腕の血管は、週末に蚊に食われた箇所ではなかったか。因果関係は定かではないが、すでに注射跡なのか蚊の痕跡なのかわからない瘤になっている。
それからずっと落ち込んでいて、そもそも朝から目覚めがよくなかった。秋というのはどうもよくない。せっかく気候が過ごしやすくなってきたというのに真夏に受けた疲労が噴出してげろげろだ。動きたいのに動けないのは楽しくない。季節の変わり目というのは気持ちも上に下に振り回されるから面白くない。そうは言いつつ、仕事の本を一冊きちんと読み終えてメモまでしっかりめに作ったのだから偉いものだと思う。さいきんは気分に左右されずに読んだり書いたりするコツを掴んできた気がする。体調が優れなくてもいかにしてごきげんを成立させるか、ごきげんを技術的問題として考えてみること。読んだり書いたりするあいだのごきげんの捻出はそこそこの再現性が期待できるようになってきたが、生活が草臥れてくるのはなかなか阻止できない。帰宅するとしばらく動けないまま呆然としてしまう。気晴らしに久しぶりに入浴剤を使った。有馬の湯。なぜかオレンジ色で梨の匂いがする。なんの関連も見出せない出鱈目な組み合わせに愉快な気分になる。お風呂あがり、奥さんが買ったコルセットを試してみると、かなりいい感じに腰が楽になって、しょぼしょぼ声が小さかったのが張りが出て声量も戻ってきたのでこれはすごくいい買い物だねとはしゃぐ。
これが去年。健康診断の日は、いつもこうらしい。
眠たくて仕方がない。いちおう起きはしたのだが、コーヒーを飲んで亀を洗ったらもう限界で、午前中にさっそく一時間くらい昼寝した。でもまだあと三時間は寝たい。仕事があるからそうはいかなかった。きのうは結局お出かけしてしまったし、家でごろごろしていれば回復したかというとそういう感じでもなく、とにかく頭が重い。外界と自分との間に靄がかかったようで、何をしても手ごたえがないし、頭がはたらかない。人はふつうは考え事などしない、動物のように反射と習慣でなんとなく生きていけてしまうもので、むしろ下手に考え出してしまうと最悪のばあい命取りにさえなるのだ、という言説をツイッターで見かけて、その通りだとは思うし、今日の僕はほんとうに思考とは無縁の生き物だが、それは僕には退屈で苦しいことだった。僕にとって僕とはほとんど言葉で、声だろうが文字であろうが体の外で形になったものに限らずつねに何事か考えられている、それはほとんど言葉の姿をしているが、しかしじっさいはその手前の茫漠とした塊のようなものだ。言葉のようで言葉になっていないぼんやりとした塊。その塊が僕だった。きょうはその塊がいつも以上にでろでろに溶けてしまって、情けない水っぽさで垂れ流しになっている。
これが一昨年。このころから頭は働いていなさそう。
寝ても寝ても眠い。一挙手一投足すべてが億劫だ。いまもお風呂に入らなくちゃねえ、と言ってすでに三〇分が経っている。その間に日記を書いているからまだいいが、そうやって無為に捨て去った時間が今日の大半を占めている。そう言う日もある。ようやく九州のあたりで、明日の夜には温帯低気圧に変わるらしい。よく考えると温帯低気圧ってなんなんだ。僕は何も知らない。知らないままに雰囲気で生きてる。台風よりはマシなものなのだろうとなんとなく思っているが、それは本当か?低気圧にマシなものなんてあるのか?何もわからないし、調べる気力も湧かない。お風呂に入る必要がある。残りの赤福の賞味期限もすでに五分も切れてしまった。日付単位の賞味期限って厳密にはいつのことを想定しているのだろう。次の営業日?どうせ休みの日はメールチェックとかしないもんね。週末はバッファで考えといて大丈夫でしょ。なんでお前の都合で進行してるとか思っちゃった?あとでちゃんと説明してくれる?
これが三年前。先延ばし癖はすでに確固たるものになってる。
体調はすこぶる悪く、なんというか他者に対する気遣いの余裕がない。昨晩もしょんぼりしている奥さんをフォローするどころか致命傷を負わせてしまった感じがするし、きょうも出かけて行った先で二人して土壺に嵌まり込んでいくようなグズっぷりで、よくなかった。こういう日の自分のグズっぷりを克明に残しておくことこそ日記の醍醐味のようにも感じるが、いかんせんそんな体力はない。僕は元気がなくなると他責に走りがちだが、奥さんの癖はどちらかというと自責に寄っていて、だから僕が自覚できないうちに奥さんを怯えさせているようなことになりがちでとても悲しい。いい人間であるためには元気が必要で、暑くなってからこっち運動もサボっているのもよくない。
四年前はこう。かなり最低な感じがする。いまのほうがましなんじゃないか?
わかったのは、僕はいつもだめそうで、奥さんはいつも聡明で、優しく、正しいということだった。
